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●Gainsbourg & Birkin●


60年代のベストカップルといえば、この2人でしょう!(と私は勝手に思っています)
そう、セルジュ・ゲンズブール&ジェーン・バーキン!
私の憧れでもある彼らの愛の軌跡について少々。



1968年春、運命の出逢いをしたというセルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキン。
実際、現在においても『一番心に残っている恋愛のパートナー』と
ジェーンは語っています。
まずは、出逢いまでの2人をそれぞれ簡単に追っていきます。
知ってる方もそうでない方もごゆっくりお読みくださいね。

1928年4月2日、
ユダヤ系ロシア人の両親のもとに生まれた
セルジュ・ゲンズブール、
本名ルシアン・ギンズブルグ。

音楽家だった父を持ち、
幸せな幼少時代を過ごした彼は、
第二次世界大戦後、
画家を志すも、家計を助けるために、
バーでピアノを弾く(シャンソン)こととなります。

 やがて、50年代のパリを象徴する多才なジャズマン、
ボリス・ヴィアンに影響を受けたセルジュは、
58年『リラ門の切符切り』で歌手デビューを果たします。
ヴィアンに絶賛された彼は、高い評価を得たそう。

その後65年、新人歌手フランス・ギャルのために書いた
夢見るシャンソン人形』が、ヨーロッパ中で大ヒット。
フランスにおけるNO.1作曲家の地位を
確率することになったのです。

そして67年、セルジュは当時の人気女優、
ブリジット・バルドーと出逢います。
その時、バルドーには旦那様がいたのですが、
2人は急速に惹かれあい、
デュエット曲『ボニー&クライド』を発表。
もう一つ、あまりにも艶めかしい名曲
『ジュテーム・モワ・ノンプリュ』も吹き込みました。
しかし、内容が過激すぎた為、マスコミが騒ぎ、
世間の猛反発を恐れたバルドーは、
曲の発表を拒否したという逸話も。

しばらくして、セルジュとバルドーの愛は終焉を迎えますが、
世間ではこの頃、セルジュに
『ロリータ調教師』という呼び名を付けていたといいます。

MODS
: モダーンズ
ROCKERS
:ロッカーズ
SKINS
: スキンズ
Hippie
:ヒッピー
Modern Girls fashion
:60'S女の子ファッション
Here Come The Cuty Girls
:60'S有名女性達
Japanese Modern Girls
:昭和の有名女性達
Dancing Step of 60'S-70'S
:クラブシーン
: ダンステップ
Gainsbourg & Birkin
:セルジュ・ゲンズブール
:ジェーン・バーキン
THE BEATLES
:ザ・ビートルズ
THE WHO
:ザ・フー
SMALL FACES
:スモ−ル・フェイセス
Modern's BEAT
:60'Sポップミュージック

文章内の
下線文字
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一方、ジェーン・バーキンは1946年12月14日、
ロンドンに生まれます。
 舞台女優だった母にならって、17歳で舞台デビュー。
その後、『ナック』で映画に進出し、
まもなくミケランジェロ・アントニオーニ監督の『欲望』に
印象的な端役として出演。

その頃知り合った作曲家ジョン・バリーと結婚し、
67年、娘ケイトを出産。
しかし、結婚生活は終わりを告げ、
ジェーンはケイトと2人、両親のもとへ帰ることとなります。

そして1968年、知人のススメもあり、
映画『スローガン』のオーディションを受ける為、渡仏したジェーン。
早々に出演が決まり、いよいよ娘ケイトと共に
フランスへと渡ることになります。

オーディション会場には映画の相手役、
当時フランスで大スターだったセルジュ・ゲンズブールの姿がありました。
ジェーンはセルジュのことを全く知らなかったそうです。

 セルジュは、相手役が無名の英国人小娘だということに腹を立て、
「フランス語もまともに喋れないじゃないか。俺が英語を喋れなかったら、
ロンドンでオーディションを受ける勇気なんて無いね」とバッサリ。
さらにセリフを曖昧に発音したり、ジェーンに対する嫌悪感をあらわにしていたそう。
 そして、そんなセルジュにジェーンが良い印象を持つはずも無く、
2人の初対面は最悪に終わりました。

その後、見事に映画出演を決めたジェーンは、
再びパリに渡ります。
 しかし撮影当初、2人の仲はまさに険悪そのもの。
このままでは映画の完成さえ危うい(!)と考えた監督は、
2人きりの時間を与えました。
今考えれば、この監督ピエール・グランブラが
恋のキューピットだったんじゃないの?とさえ思いますね。

実は内気で不器用なセルジュの本性を知ったジェーンは、
次第に彼に惹かれて行き、2人の距離は急速に縮まります。
そして、世紀のカップルがココに誕生したのです!
(拍手!)

2人は映画『カトマンズの恋人』(69年)、『ガラスの墓標』(69年)、
『女の望遠鏡』(73年)で次々と共演をし、
75年にはついにセルジュ初監督作品『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』発表。
もちろん、ジェーンが主演だったんですが、
過激な内容のため、一部の国では放映禁止なんてことも。

音楽の世界では、最高にスキャンダラスな
セルジュとジェーンのデュエット『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』が話題に。
この曲は以前、セルジュとバルドーが発表するはずだった作品。

ジェーンはこの曲を彼の実家で初めて聴き、衝撃を受け、
ずっと「私が歌いたい」と思っていたそう。
後にジェーンは「あの歌は私のためにあったのよ。
他の金髪女性にあの歌を渡されるのは嫌だったから」と語っています。

ガラスの墓標

ジュテーム・モワ・ノン・プリュ(映画)
ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』は、
これまた一部地域で放送禁止になったりと様々な波紋を呼び、
2人はより一層、世間に知られることに。

さらに、ジェーンとの出逢いがあったから生まれたと言われる
セルジュ初のコンセプトアルバム『メロディ・ネルソンの物語』は、
今も色褪せることなく、不朽の名作として輝いています。

ちなみにジャケットの赤毛をした
ぬいぐるみを抱いている少女はジェーン・バーキン。
既にお腹の中に、現在のフランス女優シャルロット・ゲンズブールが居たので、
妊娠体型を隠す為にぬいぐるみを抱いているというのは
有名なお話ですね。

メロディ・ネルソンの
物語

ジュテーム・モワ・ノン・プリュ(音楽)

後に女優へと成長するシャルロットをもうけた2人。
順風満帆に行くはずだった生活は、次第にズレが生じ始めます。

セルジュはジェーンを、自分の操り人形のように扱うことをやめず、
自分を主張したいと思ったジェーンは苦しみ、疑問を感じ始める訳です。
 同時にセルジュも、出す曲のほとんどはヒットせず、
しまいには『バーキンのひも』とマスコミに叩かれ、苦難の時を迎えていたようです。

その結果、79年2人は別離。

セルジュはジェーンへの想いを振り切るかのように、
音楽的志向などにおいて破滅的傾向を現し始めます。

テレビの生放送で紙幣を焼いてみたり、
アルバム『Love on the Beat』のジャケットでは
女装をしてみたり。
良くも悪くも世間を賑わしていました。

81年、セルジュはどこか昔のジェーンを思わせる
21歳のモデル、バンブーと再婚。
セルジュの撮影・構成によるバンブーの写真集
『バンブーと人形達』を発表します。
息子にも恵まれ、ヤル気を取り戻したかのように
見えたセルジュ。

映画『シャルロット・フォーエバー』では、
ジェーンとの娘、シャルロット・ゲンズブールと共演し、
近親相姦の父親役を演じたり、
久々のロリータコンセプトアルバムと言われる
囚われ者』を発表したりしました。
ラヴ・オン
ザ・ビート

バンブーとセルジュ

シャルロット
フォーエバー

しかし、89年頃から体調を崩し始め、
91年3月2日の探夜、ヴェルヌイユ通りの自宅で死んでいるのをバンブーが発見。
死因は心臓発作だったそうです。
今は父母の眠るモンパルナス墓地に埋葬されています。享年63才でした(涙)


放蕩娘
いっぽうジェーンは映画『放蕩娘』に出演し、
監督ジャック・ドワイヨンと出逢い、演技派女優としての名声を得ます。

自然な流れとしてジャックと結ばれたジェーンは、
82年、娘を出産。

84年、ジャック監督の『ラ・ピラート』で、
セザール賞の主演女優賞に初ノミネートされ、
86年に『悲しみにヴァイオリン』で念願のセザール賞主演女優賞を獲得!
87年には初コンサートも開くなど、精力的に活動していました。
91年、ゲンズブールの死去と共に、
10年以上続いたジャックとの関係にも終止符をうったジェーン。
彼女が何を考えてそうしたのかはわかりませんが、
現在でもセルジュからジェーンへ送られた数々の歌を歌い続けている彼女にとって、
セルジュの存在はさぞかし大きかったものと考えられるでしょう。



ジェーンはその後もマイペースに女優業を続け、
国境無き医師団のサポートメンバーとして、
戦禍のサラエボを訪問し子ども達のために歌ったり、
アムネスティの人権活動を支援するなど、様々な社会活動に取り組んでもいます。
最終的には別々の道を生きた2人。
 しかし、少し距離を置くことで、唯一無二の関係を築いたように思えてなり
 ません。現在でもセルジュ&バーキンの愛の軌跡は語り継がれているのは、
 そういった理由からではないでしょうか。

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